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面白い大人と出会い、自分の弱さも見せられるようになった。>さとのば生 プロジェクトレポート #05

日本のさまざまな地域に1年ずつ滞在して学ぶ「さとのば大学」。

実際、在学生たちはどのような理由で入学し、どのような生活をしているのでしょうか?そして、暮らしとマイプロジェクトを通してどのような学びを得ているのでしょうか?


さとのば生のこれまでの歩みやプロジェクトを紐解く「さとのば生 プロジェクトレポート」。

今回は、2021年6月から岡山県西粟倉村に滞在している小曽根雅彰さんに話を伺いました。


さとのば大学

さとまなプログラム1期生

(2021年度入学)


小曽根雅彰(こそね・まさき)さん





どんな経緯でさとのばへ?


ーまずは小曽根くんがさとのば大学に入学するまでの話を伺います。出身は岐阜県でしたね?


生まれは名古屋で、父親が転勤が多かったのでいろいろな地域を転々として、岐阜には小学校5年生の時から住んでいました。通っていた中学校は男子ひとり、女子5人のクラスでした。


ー結構田舎なんですね。


全校生徒が13人くらいの小規模な学校でしたね。小さいからこそ、地域の大人と関わる機会が多くて、その環境は魅力的でした。家族は両親と兄弟が自分も入れて10人の12人家族。兄弟が多かったので、早く自分が自立しなければならないって、自分を急かしているような子供時代でした。


ー高校は通信制のN高等学校ですが、N高を選んだ理由は?


N高に入る前は全日制の高校に通っていました。先生からみればいわゆる優秀な生徒の枠に入るのでしょうが、周りの生徒たちとは温度差を感じてしまって、狭い世界じゃなく、もっと違う世界に行きたいと思ってN高に編入しました。

N高に入ってからは、飲食店でアルバイトもしていて、そこで大人と関わるきっかけを持てたのがよかったですね。それから、N高の職業体験プログラムで長崎県の五島列島へ行ったのですが、そこで地域と関わる魅力や、地域の風土に関心を持つようになりました。


ー地域のどんなところに関心をもったのでしょうか?


岐阜は山の中ですが、五島は離島で、自然の違いによって産業が違うってことを感じましたね。漁師さんのお宅に民泊したのですが、船で漁に行って自分の手で獲った魚を食べるという一連の流れが体験できたのが大きな経験でした。食べ物っていろいろな人の手を経てやっと自分達の手に届くものだと思うのですが、島では生産者と消費者が近かったんです。生産者と消費者をつなげることって実は簡単なのかもしれないって発見したんです。

元々、料理人になろうと思っていたのですが、一部の人にしか食の体験を届けられないということに疑問を感じている時でした。そんなタイミングで五島列島に行って、生産者と消費者をつなぐことを仕事にしようと思うようになりました。それが高校3年の6月くらいでしたね。


ーさとのば大学との接点は?


Instagramで偶然見つけました。学問の知識をネットの大学managaraで学んで、実践的なスキルをさとのばで学ぶという効率的なところに惹かれました。地域に入っていく時に、さとのば大学という肩書きがあると入りやすくなると考えたのも、さとのばを選んだ理由ですね。


ーさとのば大学以外にも進路の選択肢はあったのでしょうか?


それでいうと、旅をしようというのは選択肢にはありましたね。色々な地域を訪れながら学ぶとか考えるようなことをしたいなと。N高に行った時点で普通のレールの上からは外れているので、どうせなら変わった道に行きたいと考えていました。


ー旅をするのはひとりでもできるけれど、さとのば大学の学びのコミュニティに入ったのにはどんな魅力を感じたからなのでしょうか?


仲間がいるといいますか、さとのば大学には個性豊かな学生たちが集まるんじゃないかなっていう期待がありました。それから、代表の信岡良亮さんとお話しする機会があって、「この大人面白いな」と思ったのも入学のきっかけだったと思います。


ー信岡さんのどんなところが面白いと思いましたか?


大人だけど大人じゃない、無邪気な気持ちを忘れていない姿が素敵だと思いました。いろんな苦労はあっても、初心を忘れずいろんなことにチャレンジしてみようという姿が、ひとつのロールモデルだと思いました。




西粟倉村での生活と学びについて


ー最初の実習地に岡山県の西粟倉村を選びましたが、その理由は?


実習地を決める前に、候補地をいくつか見学に行きました。その中の一つが西粟倉です。さとのば生が滞在するシェアハウスのご近所の方に夕食にお誘いをいただいて、その方は74歳の男性なんですが、夜遅くまでお話しさせていただきました。自分の弱い部分と言いますか、悩みや心の深くで考えていることを聞いてくださって、こんなに心をひらいて安心してお話しできる方がいるんだって嬉しかったんです。こういう温かい人がいるのであれば、この村に来て楽しい生活を送れるだろうという確信が持てたのが大きかったですね。


ー西粟倉での滞在を始めたのは昨年(2021年)6月でしたが、村の印象は?


エネルギッシュでアクティブな方々が多いという印象です。何かゴールを設定した上で意志を持って取り組んでいる方が多いです。例えば元湯ゲストハウスという宿泊施設を営んでいる半田守さん。僕もアルバイトさせていただいていたのですが、お金の話など経営の部分まで聞かせくださいました。それからシブヤカバンの渋谷肇さんには、村内に新しくできるシェアキッチンを一緒にやらないかと声をかけてくださいました。チャレンジしようとしている人に、そうやって声をかけてくれる方が多い地域ですね。

滞在するシェアハウス


ー地域に入ってプロジェクト学習をやるのがさとのば大学のコンセプトですが、まさきくんのプロジェクト学習はどんなものがあるのでしょうか?


二つの「しょく育」です。食べることの「食」と、職業の「職」の教育ですね。先人から受け継いだ森林を100年大切に育てようと「百年の森林構想」を掲げる西粟倉では、獣害対策でジビエ肉の商品化を進めています。そんな村の子供たちが、鹿肉や猪肉といったジビエについて知らないことに問題意識を持って、自分は料理の技術があるので、2021年7月に子供向けの料理教室を企画したんです。初回は全国の方々に西粟倉を知ってもらう趣旨もあったので、材料をお送りしてオンラインで鹿肉ハンバーガーを作るイベントにしました。

そこに参加してくれた料理人になる夢を持つ村の小学生がジビエに関心を持ってくれて、じゃあ一緒に何か作ろうということで、2回目は10月に村の小学生向けに猪肉のライスバーガーを作るイベントを彼と一緒に実施しました。彼が僕をきっかけに料理に興味を持ってくれて、食に関する将来を考えてくれるのであれば、僕が西粟倉で活動する意味になるんじゃないかと思ったんです。

そんな経緯もあって食育に興味を持ち始めて、小学生の給食でジビエメニューを提供させていただくなど、子供向けの活動を続けています。




ー働く方の「職」でいうと、どんな関心があるのでしょう?


自分は高校時代からアルバイトをたくさんやってきて、そのおかげで職業についてのイメージがある程度できるようになったと思うんです。一方で職業に触れる機会が少ない子たちにも、職業を考えるきっかけを作りたいと思っています。それから生産者とか加工者という食についての職について知ってもらうことで、生産者と消費者がつながる道筋を作っていきたいと考えています。


ーいままで料理のイベントを4回実施してきましたが、手応えと言いますか良かったと思った瞬間はどんな時でしたか?


まずは、小学生の男の子が自分から料理イベントをやりたいと言ってくれたこと。それから給食で子供達が美味しいって言ってくれたことですね。給食でジビエを知って、家庭でもジビエのおいしさを伝えていってくれたら嬉しいです。


ーやってみて難しかったことや失敗したことは?


失敗したのは給食の時です。猪肉の発注のやりとりを曖昧にしてしまったために、前日にお肉が届いていない事態になってしまいました。なんとか間に合わせることができたのですが、もし手に入っていなければ120人の給食がないことになってしまっていました。役割分担や仕事の納期は、反省しました。それは今でも気をつけなければいけないと思っていることですね。地域の方々も保護者の方々も協力的なので、それ以外では特に難しいことは感じませんでした。


ーマイプロジェクトを通して、まさきくん自身が得た学びや成長したことは?


一番身についたのは、「人に甘える力」です。いままで他人に頼ることが苦手で、自分の弱さを見せることが苦手だったんです。ですが、「この人だったら心開いていいな」とか、「この人に頼ることによって自分のやりたいことが広がるな」っていうのが、しっかりと見極められるようになりました。


ー人に頼るって難しいもの?


難しかったですね。人に嫌われたくないというか、人によくみられたい。自分の弱さを見せることで「あいつそんなこともできないのか」って思われるのが嫌でした。完璧である自分でいたい感情が強かったんです。

そうじゃないなって思えたのは、この村の大人たちに子供ではなく一人の人間として扱ってもらえたからです。助けてっていったら助けてもらえる信頼関係ができていた。しっかりしたクオリティーを出すためにも、「自分にはここはできるけどここはできない」って棲み分けができるようになったのが大きかったと思います。

柔軟に対応できる大人たちにこの村で出会って、自分が持っていた大人のイメージが変わったんです。謝るところは謝るし、頼るところは頼る。自分の意志を持った上で柔軟にチャレンジできている大人たちは素敵で、それを真似したいと思っています。


ー地域でなにかやるというのは、失敗して助けてもらえる経験があるということなのかな?


失敗を失敗ではなく学びとしての成功体験に持っていけることだと思います。助けてもらったことで感謝が生まれて、そこでまた人との繋がりができるし、「あの時はありがとうございました」って日々言葉を交わすことができるようになる。「あのとき失敗したけど、今こうやってできているんだからいいじゃない」って、失敗を温かく笑ってくれる人がいるのがこの地域の良さだと感じます。




今後の展望と、次に続く学生に伝えたいこと


ー卒業後はどんな将来を描いていますか?


起業も一つの選択肢だと思っていますが、やりたいことができる会社があるのであれば就職するのも良いと思っています。まだやりたいことの核がしっかりしていなからブレているのですが、どんな進路を選んだとしても、面白い人間になりたいっていう気持ちはあります。


ーやりたいことは、今まさに作り中?


作り中ではありますが、自分の中のテーマとしては、「教育」と「食」と「職業」があります。生産者と消費者をつなげるプラットフォームをつくろうと思っていたり、生産者の後継者をつくろうと思っていたり。生産者が増えて、生産者と関わる関係人口も増えれば地域の活性化にもつながると思います。その辺りが、自分ががいま持っている展望なのかもしれません。子供たちのなりたい職業ランキングってあるじゃないですか。サッカー選手とかYouTuberとか。その中に生産者や農家みたいな言葉が入るように持っていくのが長期的な目標です。


ー最後に、これからさとのば大学に入ってくるような、未来のさとのば生に対して、エールやアドバイスはありますか?こういうマインドを持っている人には、さとのばの学びが合うんじゃないかといった。


さとのば大学は僕にとっては研究所だと思っています。待ちの姿勢ではなく自分で何かを作ろうっていうマインドがある学生に向いています。自分のやりたいことがはっきりと見つかっていなくても、何かチャレンジしてみたいという感情があれば、さとのば大学に向いていると思います。

・・・自分がチャレンジするきっかけをくれる場がさとのば大学だと思うんです。重要なのは、さとのばで生まれる人との出会いです。しばらく会っていなくても、温かく迎え入れてくれる人たちがいる。どれだけ失敗してもあそこにいけば自分の心が落ち着く。そんな場所を得られたというのが、僕にとってさとのば大学の意味でした。それがあったからこそチャレンジしてみよう、チャレンジするしかないなと自分のマインドも固まりました。

この1年で色々な人に出会って、チャレンジして、壁にもぶつかったりしましたが全てが学びになったと思います。これから入学する人たちにも、ぜひチャレンジをしてほしいと思います。



(2022年6月10日 西粟倉村のシェアハウスにて /聞き手:さとのば大学事務局 大竹悠介)

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